マスヲの療養日記

大腿骨骨折の治療のための入院の日々についてを語ります

価値

 今回の投稿でこの療養日記の更新は終えるつもりだ。

 今週から、仕事にも復帰したので療養生活にも区切りがついたと考えたからだ。

 

 先週の金曜日は退院してからのはじめての通院だった。

 自分の症状のために総合病院へ通ったのははじめて。当然、再来受付機を利用したのもはじめてだった。

 

 そんなこともあってか、いきなり躓いた。

 再来受付機に診察券を入れたら、窓口で保険証の提出を機械に促されたからだ。

 はじめから窓口で聞いた方が何かと早かったような気がした。

 

 自分の診察予約時間は10:00だったが、そんなことをしている間にも時間は過ぎていった。

 外来窓口の受付係から、受診する科目で必要な書類が入っていると思われるクリアファイルを受取った。

 整形外科の待合付近に移動して自分の予約番号が呼ばれるのを待っていた。

 

 すると、ある事務方のスタッフに話しかけられ、クリアファイルは整形外科の診療窓口に提出する必要があることを説明された。

 指示に従ってクリアファイルを提出すると、受診前にレントゲンを撮影してくることを指示された。

 総合病院の外来での患者としての振る舞いを全くわかっていないことを痛感させられた。

 これまで、大きな怪我や病気に縁がなかった証拠であったのかもしれない。

 

 レントゲン室では珍しく待たされた。

 入院している時は毎週のようにレントゲンを撮影していたのだが、その日よりも待たされたことはなかった気がする。

 それなりに待たされたこともあって、整形外科の待合に戻って来たら、ほぼ11:00。

 金曜日だから患者が多かったことも影響していたのかもしれない。

 

 予約時間から1時間以上が過ぎてから診察室に呼ばれた。

 予約制でなかったら、どれほど待つことになったのだろう。

 

 それでも、主治医の診察はほんの数分。

 レントゲンを見ながら経過は順調だとのこと。

 ただ、その後に主治医が続けた言葉がショックだった。

 経過によっては骨折した部位を中心に人工関節にしなければならない可能性があると言われたからだ。

 

 いろいろな人のおかげで、怪我をした直後に比べれば生活の質は向上してきた。

 だが、怪我をする前と比べれば雲泥の差だし、社会の中で自分は弱者に分類されることも増えているだろう。

 

 入院と手術を経験してから、自分はある言葉に敏感になっている。その言葉とは安楽死

 メインblogの方で、自分の残りの人生はおまけのようなものだと綴った。

hatehatehahaha.hatenablog.com

 その時と自分の人生についての考え方の方向性が少し変わってきた気がする。

 特に自分に残っている時間を軽く感じるようにはなったからだ。

 人の命は尊い、という考えを簡単に肯定することも否定することも今の自分には難しくなっている。

気になっていたこと

 怪我人にとって病院は過ごしやすかったことを痛感している。

 我が家は2F建て。バリアフリーを意識していないので、右足に不自由がある今の自分にとっては不便なことばかり

だ。

 我が家には手すりが階段と浴室にしかない。

 

 素面であっても身体を動かしていると、転倒するリスクを常に感じる。

 人が独り身で生き続けていくのはかなり大変だということがわかってきた、今日このごろ。

 前妻と別れてからは独身生活を気楽に感じていたから再婚する気は全くなかったが、その考えが少し揺らぎはじめている。

 

 今回の骨折で自分が決して若くないことを痛感したし、自分が人生の坂を下っていることも実感させられた。

 これからは今回のような怪我だけでなく、病気などでも体調を崩すことも増えてくるだろう。

 そんな時にはお互いに支え合うことができるようなパートナーがいたら、と思うことが増えている。

 

 だが、自分の身の回りでは羨ましく思えるような夫婦はいない。

 結婚している友人たちは自分から見たらギクシャクしていたり、自分のように別れた夫婦も珍しくない。

 世の中に互いにどちらかが死ぬまでに仲の良い夫婦は、どれくらい存在するのだろうか。

 

 自宅は寒い。一人で住んでいることもあってか寒々ともする。

 かといって、リハビリのために屋外を歩けば風は冷たい。

 今は冬。しかも一年で一番寒さが厳しい時期だから仕方がないだろうが。

 入院しているときに病棟を歩き回っているのは退屈だったし、面白くはなかったが寒い思いをすることはなかった。

リハビリ中のお散歩ショット。

 だが、病棟を歩き回っていると気になることはあった。そのことが早く退院したいという気持ちにもさせた。

 気になっていたこととは、看護師たちの入院患者への言動だ。自分に向けられたものではなかったが、耳に入ると気分は悪くなるものが少なくなかった。

 

 特に夕食後や朝早くに目立った。

 朝食前や夕食後、リハビリのために自分が病棟内を歩いていると、聞きたくない言葉を何度も聞いた。

 

 退院前に自分が居たのは療養病棟

 日中以外は看護師一人で20人以上の患者を受け持つ体制になっていた。明らかに看護師は手一杯だったように見えた。

 そんな体制のせいもあっただろうが、自分の耳にはハラスメントにしか取れないような言葉を何度も聞いた。

 

 退院間近になって、リハビリに注力するようになってから知った事実だった。

 それまでは個室に閉じこもっていることが多かったからだ。

 相部屋で過ごしていたら、他の患者に対する看護師たちの言動で気が滅入った場面も少なくなかったかもしれない。

そんな場面に何度も出くわしたら、看護師に何か言ったかもしれない。

 もちろん、どんな場面でも言葉を荒げない優しい看護師も居たのも事実。

 他の病院でも似たようなことはあるのかもしれない。

退院

 blogでの報告が遅れたが一昨日の午後に退院した。

 入院日数は66日。二か月以上も入院していたことになる。

 今回の骨折でのこれまでの治療費は三桁になったが、これからも通院するのでまだまだ出費は増えていくだろう。

 治療費をカード払いしているがショッピング枠の上限が少なくなってきた。こんなことははじめて。

 日常的な買い物などはできるだけキャッシュレスサービスを利用しているが、カードの上限に触れそうになることはなかった。

 

 サラリーマン時代よりも多少は収入が増えてきたこともあるし、今回のようなイレギュラーなことも考えてゴールドカードへの変更も考えはじめた。

 ただ、年会費を払わなければならないのがひっかかる。

 

 退院当日、自室まで管理栄養士が挨拶に来てくれたのは少し驚いた。

 入院食を完食する患者はほとんどいないと話してくれたので、次のように答えた。

 その点は育ててくれた親や祖母のおかげ。出されたものは口に合わなくても体によいから食べるように、と口を酸っぱくして言われてきたからだと。

 

 自宅に戻ってきて一番感じるのは怪我人にとって優しくないこと。

 住宅を建てる前にメーカーの営業マンがバリアフリーという単語を何度も口にしていた気がするが、今の自分にとっては不便で仕方がない。

 家の中では杖を使用していないので手すりが欲しいが、備わっているのは浴室と階段だけ。

 玄関やトイレにあるとよかったように思うし、道路から玄関までの間に階段があるのも不便。

 

 生まれ育った実家が平屋だったので、自分が建てた家が2F建てだったことは少し嬉しかったが、今の自分にとっては不便さを通り越して苦痛だ。

 今のままだと飲酒することはかなり危険。

 素面でも転倒するリスクがあるからだ。酔って足元がふらついたら危なくて仕方がない。

 

 昨日、リハビリがてらラーメン屋までラーメンを食べに歩いた。かつて自分が10年以上もバイトしていた店に。

 晴れていたが風が吹きつけ、杖を持つ手はすぐに冷たくなった。

 怪我をする前はゆっくり歩いても20分ほどの距離だが、昨日は30分以上もかかった。

 裏路地を選んで歩いたが道路工事をしている場所があり、道幅が狭くなっていた。

 そんなところでも速度を落とさずに自分の横を通りすぎ車があったので、怖くて立ち止まった。

 

 自分がその店に顔を出したのは数か月ぶり。

 かつての自分と一緒に働いたパートのお姉さんは相変わらず動き回っていた。

 ただ、彼女からある社員が先月で退職したことを聞いた。

 その社員の顔を見るのも楽しみにしていたので、久しぶりのラーメンが思ったほど美味しく感じなかった。

 

 なんとか退院できたので、このblogの更新も終えるかもしれない。

 ただ、余裕があったら入院生活中に気になったことはいくつかあったので、別に綴りたい気はしている。

通り過ぎる

 木曜日の午前中に主治医が自分の病室を訪れた。

 午前中に姿を見せるなんておそらくはじめて。いつもは夕方に訪れるのでちょっと驚いた。

 ほぼ毎夕、病室まで訪れるのだが水曜日には姿を見せなかったので、その代わりかなとぼんやりと思った。

 会う時には手術着のままも多いのだが白衣だったので、外来診察の合間だったのだろうか。

 開口一番、退院してもよいと言われた。

 

 火曜日に撮ったレントゲンの結果、水曜日から右足に全体重を載せることは許可されていた。

 松葉杖から平行棒、杖や壁に手を添えての伝い歩きのリハビリに励んでいるが、右足の動きがぎこちないせいでスムーズには歩けていない。

 

 リハビリを担当している理学療法士や担当の看護師とも相談して、月曜日にレントゲンを撮って問題がなければ火曜日に退院することを仮決めした。

 杞憂もある。レントゲンの結果に問題があったら、と。

 また、今の自分には杖がないと歩くのは厳しい。杖無しで自然に歩けるように戻れるか、全く自身が持てないでいる。考え出すと切なくなるが仕方がない。

 全部自分の蒔いた種だから。

 

 それでも、退院には良いタイミングのような気もする。

 病院での暮らしは居心地がよいものではないし、他人との共同生活は気疲れもするからだ。

 

 数日前から自分が居る病棟で感染症が流行っていると看護師から聞いた。

 相部屋の患者の割合が高いらしいが、入院患者として内側から見ていると仕方がないとも思う。

 病院側もそれなりに配慮はしているが限界はあるからだ。

 入院患者として内側から見ても人の手が足りないことは明らかだから。

 病院経営にはお金がかかるので仕方がないのかもしれないが、今のままだと遠くない未来に大きな問題が発生しなければと思っている。

 

 退院が現実日を帯びてから、リハビリに本腰を入れ始めた。

 それまではリハビリ室に呼ばれた時に言われたことだけをしていたが、ここ数日は違う。

 来月から街中でバスに乗って通勤するのが心配になってきたからだ。

 朝の通勤時間の混雑したバスで数十分も立ち続けるのは今の自分にとってかなりハード。

 また、手術してから半年の間までしか歩行機能は回復しないと書かれていたネットの文章を読んだこともある。

 このままだと、スキーやスノボが楽しめない可能性が現実味を帯びてきた。

 出来の悪い子供が夏休みの終わりに追い込まれて一気に宿題を片付けるような姿に近いのかもしれない。

 

 追い込まれた自分は朝飯前も歩行訓練などのリハビリをはじめた。

 今朝、ある病室の前を歩いているときだった。看護師が押している患者のベッドとすれ違った。

 ベッドには顔が白い患者が横たわっていて、ベッドの後ろには数人が着いて歩いていた。

 歩いていた彼らは制服姿ではなかったし、患者の私物らしきものを静かに持っていた。おそらく身内だったのだろう。

 その患者は亡くなったようだった。

 

 死が身近にあることを思い出させてくれた一瞬だった。

2/3

 朝、いつものようにリハビリ室に向かった。

 タイトル通り、今日から骨折している右足に体重の2/3の負荷をかけることになった。怪我の回復が順調だからだ。

 両足で立って2台のタニタのヘルスメーターに左右の足をそれぞれに乗せた。右足に体重のおよそ2/3をかけるイメージを掴むためだ。

 2/3はなかなか慣れないだろうと思っていたがそうでもなかった。

 1/2の時よりも1/3の時の方が慣れるのに苦戦したが2/3にはあっさりと慣れた。

 

 だが、不思議な感覚だった。

 1/2は左右半分ずつだが、自分の意識としてはそうではない。左半身に心臓と肝臓があるせいか、右に少しバランスを移したくらいでちょうどよかった。

 2/3は自分がイメージしていた以上に体重を乗せなければならなかった。かなりオーバーに重心をずらさないと駄目だった。

 

 その後は平行棒を左手だけで捕まって歩く練習。往復する間に一回だけヘルスメーターを踏み、理学療法士が目視でチェックした。

 1/2までとは大きな違いがあった。これまで平行棒で歩くときは両手を使ったが今回の2/3では片手の左だけ。

 また、松葉杖も左だけで歩けるように練習したが意外とすんなりとコツをつかんだ。

 

 今回の入院ではじめて使っている松葉杖。

 最初のころは片足歩行だということもあったけれど、全く上手く使うことができなかった。

 世の中の大抵のことは慣れと練習である程度のレベルまでは辿りつけるのかもしれない。

 

 今日は一月十五日。

 順調に行けば来週のどこかで退院できるというのが主治医の見立て。

 そう考えると退院日までは指折り数えられるようになった。

 嬉しいような嬉しくないような複雑な気持ちだ。

 この療養日記の回数も残り数回だろう。

 

 入院中は会う人はかなり限られている。

 病院のスタッフはそうでもないが、自分のまわりの入院患者は年寄りばかり。10代、20代の入院患者は見かけなかった。

 自分が入院しているフロアの患者は整形外科がほとんどなのに。

 これはこの病院だけのことなのだろうか。この地区だけ若者が極端に少ないのだろうか。

 それとも、自分が思っていた以上に今の日本は年寄りばかりになのかもしれない。

 

 自分の年齢を考えると、また入院する日はそれほど遠くない未来であることも考えられる。

 その時には、今以上に若者を見かけることがレアになっていそうな気がする。

1/2

 入院している病院の起床時間は6:00。

 いろいろな仕事、会社や組織を渡り歩いてきたが、出社時間が早かった勤務先もいくつかあった。

 はじめて会社員として勤めた会社は週に三度、2:00の出社が求められた。

 今、振り返るとぞっとする。

 50年生きてきてわかってきたのは、自分が朝方人間ではないことだ。

 と言っても、夜型人間でもない気がする。昼食を食べると午後も毎日のように眠くなる。

 そんな人間にとって、入院生活という共同生活はキツイ。

 

 急性期病棟の時は毎朝、起床時間が過ぎると看護師が見回ってきた。目が覚めていないと起こされたが、今の病棟に変わってからは見回りをほとんど見かけない。

 それでも朝食が7:30に出されるので、それまでには起きなければならないのが苦痛だ。

 朝食は食べなくてもいいから、週に一度くらいはのんびりと朝寝をしたいものだ。

 

 そんな環境のおかげで入院する前よりも早起きする日々。

 今、自分が寝ているベッドは窓側でその窓は南向き。窓にかかっているカーテンは手が届く距離だ。

 起床してカーテンを開けるとまだ外はほの暗い。外を眺めると住宅地が広がっているが、その時間に明かりが灯っている家はまばらだ。

 自分が今、世の中では早起きに分類されるだろう。

 

 右足の状況だが回復は順調だ。

 主治医から体重の1/2までは負荷をかけることが許可された。

 立っていうるときも、松葉杖で歩くのでも1/3と1/2ではかなり感覚は違うし楽だ。

 

 一昨日のリハビリでは病院の外を15分ほど歩いた。

 外気に触れたのは入院してからはじめて。

 この時期らしい冷え込んだ朝だったが、それほど寒さを感じなかった。

 歩くのが新鮮だった。リハビリ室、病棟の廊下や病室と違って完全にフラットなところは僅かなことを知った。

 ほとんどの箇所はわずかでもどちらかに傾いていたり、凹凸していることに気がついた。

 松葉杖を突く両手と右足を意識して調整して歩くのが面白かった。

 

 昨朝は雪が降った。

 目が覚めてカーテンを開けると一面雪景色。

 少し心が浮きだったが、すぐに病院に通ってくるスタッフたちを思った。

 その日、自分と同じ日に手術した同士が退院していった。

 同士の彼が羨ましいような、羨ましくないような微妙な気持ち。

 彼は来週から全面的に仕事に復帰すると聞いていたから。

 

 病院の生活に窮屈さは感じてはいるが働きたくはない。

 ただ、それでも12月の入院費を支払って懐がさらに寂しくなったのは重大な事実。

 おそらく今回の入院費の総額は100万を超すだろう。

 昨日までに、そのうちの1/2を支払った。

 だから、お金がない。お金が……。

何もなかった正月

 病室で過ごしたのだから当たり前のことなのかもしれないが、例年以上に特別なことがないお正月だった。

 入院していることは非日常であるので、それ以上のトピックはなかった。

 

 何処にも出かけられなかったこともあって、会った人も限られていた。

 正月中の面会者は母親とフリーター時代からの友人二人。

 その友人にあまりblogを更新していないと言われたこともあって、なんとなくキーボードを叩きはじめた。

 特別に書くことなんて何もない気はしたけれど。

 

 自宅に届いていた年賀状を母親が届けてくれた。

 相手によっては自分が入院していることを知らなかったので、こちらから電話をすると驚いていた。

 

 今のところ、娘は見舞いに来ていない。父親らしいことはしていないから仕方がないとは思うし、みっともないところは見せたくない気もするから、気持ちは少し複雑だ。

 

 もし、来たらお年玉を用意するつもりだった。

 財布の中はペラペラなので病院にあるATMでお金を下ろすつもりだった。

 ただ、三元日に病院のATMの使用は可能だったのだろうか。

 

 今のところ、母にもお年玉をせびりには来ていないようだ。

 しっかり貯めこんでいる叔父さんからも自分の分までもらって欲しかったのだが。

 

 リハビリ担当者から、年末年始は自分自身でリハビリするように言われている。

 足首に巻く重りも借りていたが、あまり使っていない。

 松葉杖で歩くこともめっきり減っている。

 

 怠け者の性格だから仕方がないだろう。

 年を越してからは特に無気力になっている。

 怪我をした箇所が特に痛む訳ではないけれど、何もする気が湧いてこない。

 ひょっとしたらそれは、退院する日がリアルになってきたからなのかもしれない。

 シャバに出たら働くはじめる日はすぐそこ。労働という行為が目の前に迫ってきたのが嫌でたまらない。

 入院食はもう食べたくないが、永遠にお金の心配をしなくて済み、働かなくてもよいのであれば我慢できる気もする。

 

 苦手な人や会いたくない人に会うだけでも苦痛な自分。

 個室に入院している今は、それらが最低限で済んでいる。

 そんなこともあってか、今年の正月は個室から出ることも少なかった。

 他の入院患者と会話することも数えるほどだった。そんな時間は貴重だった。

 あと一か月もしたら、やたらに多くの人とコミュニケーションを取らなければならない。

 そんなことを先に捉え過ぎて既に気疲れしているような気もする、今日このごろ。