マスヲの療養日記

大腿骨骨折の治療のための入院の日々についてを語ります

視点

 たんぱく宣言があるのに、別のblogを書こうと思ったのにはいくつかの訳がある。

 人生初の入院について自分のために備忘録的な内容を書き留めておきたかったこと。

 そして、自分と似たような状況に置かれている人や、似たような状況に陥ってしまった人の何かの参考や励みになればと思ったからだ。

 

 たんぱく宣言で書いた内容と重複するが、右足大腿骨頚部複雑骨折している自分。

 ゲレンデでスキーを楽しんでいたら転倒して発症し、その翌日に手術を受けて入院を続けている。

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 入院してしばらくはベッドで動けないまま。寝返りどころか身体の向きさえ自分で帰ることができなかった。

 数日はトイレにも行けずにオムツをあてられて、ただ天井を見ていることしかできなかった。

 怪我をする前までは当たり前のようにできていた自分の身の回りのことが自分だけではできない立場に転落してしまった。

 自分が弱い立場になったことを痛感させられた。

 

 それでも、術後の経過はおかげさまで順調。

 手術の翌日から受け続けているリハビリのおかげもあって、車いすに乗ることができるようになった。

 まだまだ車いすの操作は覚束ないが、ベッドから手が届く範囲だけが自分の世界だったが、自分の世界が少しずつ広くなってきたのは嬉しい。

 

 車いすに乗れるようになってから一番感動したことは自自分でお手洗いに行けるようになったこと。

 そして、手を洗えるようになったことだ。

 水道の蛇口を捻ると流れる水に自分の手が触れた時の感動は何とも言えなかった。

 車いすに乗って手を洗っていると、なぜだかヘレンケラーのことを思い出した。

 高校のころに英語の教科書で読んだことを覚えていたなんて、どうしてだろう?

 そんなことよりも構文、単語や文法などを記憶していれば英語の学力も向上して、自分の人生はもっと良い方向に変わっていたのかもしれない。

 

 病院内で生活している今の自分の世界は狭く、与えられている視点は限定的だ。

 ベッドで寝ている時の目線か、車いすに座っている時の目線くらいしかないからだ。

 ただ、それもよい経験のような気がしている。

 今までになかなか持つことができなかった物理的、心理的な視点で様々なことを眺めることができるようになったからだ。

 

 人生は何が起きるかわからない。

 それなりに自分が天寿を全うできたとしても、肢体の自由を失いながら死に向かっていくことになる可能性は高いだろう。

 今回の入院生活がその時の予行練習になればいいかなとも考えはじめている。

 独り身の自分は自宅ではなくて、病院や施設で他人の助けを借りて、死を迎えることは十分に予期できるから。

 

 他人の助力がなければできないことばかりになってしまった状況だが、それなりに謙虚に受け入れることができている気がする。

 死が身近に迫ったときでも、今のように振舞うことができるだろう。

 痛がりで怖がりの自分だから。