しびん
入院して二週間。
入院直後から比べると人間らしく過ごせるようになってきた。
入院して数日は学生のころに社会科の教科書で学んだ社会権なんて言葉が何度も頭に浮かんだ。
救急外来で受診を受けるとすぐに着替えを脱がされた。上半身は問題なかったが、少し姿勢を変えるだけで足に激痛が走るので下半身は大変だった。
ズボンはなんとか脱がしてもらえたがパンツは困難で自分から頼んでハサミで切ってもらった。
裸になると下着の代わりにオムツをあてがわれて入院着に着せられた。
そのときはオムツどころか排泄のことには全く頭が回っていなかった。骨折した足があまりにも痛くて考える余裕なんて持てなかったからだ。
ただ、人生はじめての大人用のオムツにはちょっとした違和感を覚えた。
痛み止めを処方されたので服薬して病室に移るとトイレのことが気になってきた。
ゲレンデで骨折してから数時間、一度も用を足していなかったからだ。さすがに尿意が高まっていた。
病室で看護師と一対一の時に尿瓶を使うことを提案されたが自分は拒否。
対案としてバルーンを使うかをたずねられたがそちらも断った。
看護師が若い女性で魅力的だったことも、より自分に意地を張らせたのかもしれない。
こちらの小さなプライドはともかく、排尿のチェックをする必要があったようで、自分の意志でできないのであれば別の手段を考えると看護師から告げられた。
それから数時間、痛みが支配する頭の中で自問自答した結果、ナースコールのボタンを押した。
来てくれた看護師に尿瓶をお願いした。
用意された尿瓶はプラスチック製。瓶と書くのにガラスではなかった。
オムツを外すだけでも手こずった。足を怪我しているだけでなかなか身体が思うようにならなかったからだ。
大人用のオムツをなんとか自分で外すと、尿道の先にコップが被せてあった。採尿のし易さなどの理由もあったのかもしれない。
紙コップを手に取ると中身は乾いていた。オムツは冷や汗でしっとりとしていたのに。
ベッドのリモコンで上半身の角度を変えながらポジションを調整して尿瓶の場所を思案した。
そして、排尿。粗相することなくすっきりはしたが、尿瓶を戻すのにも気を使った。自分やベッドにこぼしたくなかったからだ。
尿瓶をあった場所に戻すと今度は着衣。迷ったけれど紙コップも元セットされたように自分の先に被せてオムツを履いた。
これらの一覧の行動の中、恥をまた一つ投げ捨てた。それがよかったのかは今もわからない。
ただ、かなりの確率で先の人生で同じようなことをしなければならない日はまた来るのではないか。
ひょっとしたら、それは10年と少し先かもしれないし、30年以上も先かもしれない。
たいていの人は人生の最後には自分で自分のことができなくなることがほとんどだから。
はじめて尿瓶を使ったときには葛藤があったが、二度目以降はそれほどの躊躇いはなかった。
夜中でも一人でオムツを外して尿瓶で用を済ませて、またオムツを履くことの繰り返し。
その度に個室の中の空気が濁っただけだ。
おかげで朝までベッドの中で過ごすことができた。
ただ、朝が来てもその空気が爽やかになることはなかった気はしたけれど。