オペとバルーンと点滴
入院の翌日がオペだった。
人生初の手術だったのに緊張しなかったのはなぜだろう?
怪我をした箇所があまりにも痛くて、ただ頭が回っていなかっただけなのかもしれない。
手術前の夜は痛みでほとんど眠れなかった。
手術に怯えることもなかったが、麻酔医のスケジュールがつかない可能性が高いとのことで、全身麻酔を受けられる可能性は数パーセントしかないと言われたことだけは気になっていた。
痛がりの怖がりなので手術は意識の無い中で行ってほしかったからだ。
手術は月曜日の夕方近くからはじまった。
病室からオペ室に運ばれる途中に看護師などから激励を受けたが、それほど大げさなものなのかなと思ってしまった。
たかがスキーで転んで骨折した骨をプレートで固定する処置だけだとシンプルに考えていたからだ。
手術中の間、母親が待っていてくれた。
自分が母親の手術に付き添うことはあっても、逆の想像は全くすることがなかった。
後期高齢者になった母親に心労をかけたことには、いろいろと思うことがあった。
これでも自分も父親の端くれだから。
オペ室に入室すると病室のベッドから手術台に載せられた。
おどろいたことにそのときの方法は特別な道具や機械などなくて完全に人力だった。
看護師と医師数人で自分の体重を持ち上げたのだった。他の病院でもこんな方法なのだろうか。
彼らの負担が少なくて済む方法はないのか気になったし、自分のメタポ体重が申し訳なく思えた。
手術台に移ると麻酔を受けることになった。
事前に予想されていた通り、全身麻酔ではなくて局部麻酔だった。
麻酔の注射を受けるために手術台の上で海老のように背中を丸めるように指示を受けたが、右足が痛くて指示通りの姿勢を取ることがなかなかできなかった。
それでもなんとか及第点の姿勢は取ることができたのだろう。脊椎の下部に針が刺さった。
歯科医以外で麻酔を受けたのははじめて。
眠くなったり、気分が悪くなったりすることもなかった。
もし、麻酔による事故で人生が終わってしまうならばそれはそれで良い気もしていた。
諦観というよりは少し投げやりに近い気持ちだったのかもしれない。
運動神経などが鈍いせいか麻酔が効きはじめるのは医師が想定したよりも遅かったような気がした。
麻酔の効きをチェックするやり取りを何度か受けたが、やり取りをする中で医師が少しイラついていたように感じたからだ。
当日は月曜日だったこともあって、忙しかったこともあるのかもしれない。
総合病院の勤務医がハードなスケジュールなのは知っているつもりだったが、患者の視点ではそこまで医師にそこまで配慮はできなかった。
何度かのやり取りで麻酔の効きの確認が取れるとオペが始まるのかと思いきや、医師と看護師が『バルーン』という言葉を何度も交わした。
そのやり取りのあと、自分の局所にバルーンが差し込まれた。
麻酔が効いているので痛くはないですからと看護師に言葉をかけられたが、確かに痛くはなかった。ただ、あそこがモゾモゾしただけだった。
バルーンとは尿道に管を差して排尿させること。
亡くなった父親がすい臓ガンで苦しんでいた末期、トイレに行くのが困難になったときにバルーンを差してもらったときに何かを覚悟したようだったと、母親が話していたのを思い出した。
下半身剝き出しの状態で女性の看護師にそんな処置をしてもらうのはバツが悪かったが仕方がない。
スキーで怪我をした自分が全て悪いのだから。
命に別状こそはないものの、自分の症状はかなり深刻なものではないかと思い知らされた気がした。
バルーンが差されると手術台の上でトリッキーの状態で固定された。
右足の手術箇所を医師が作業しやすい位置に固定したいのはわかったのだが、自分の体制はかなりきつかった。
下半身だけでなく上半身もトリッキーな体制で固定されて全く動くことができなかった。
特に右肩がうつ伏した状態になっていたので、時間が経過するごとに痛くなってきた。
手術は2時間と少し。
自分が考えていたよりも長かったし、自分の忍耐も限界に近かった。
こんなに苦しい状態で身体が固定されるのであれば、やはり全身麻酔の方がよかった。
手術が終わって上半身が自由になっても右肩には違和感が残っていた。
酷い肩こりのような鈍い痛みが残った。
ただ、手術が無事に終わったことはよかったと思うべきだったのだろうが、なかなか気分を切り替えることはできなかった。
手術後の数日は発熱が続いた。そのせいで、食欲も減退気味だった。
それでも、点滴を受けていたので体力的には問題なかったのだろう。
気が利く看護師によっては、夜中でも点滴の確認に訪れたタイミングなどにアイスノンで患部と頭部をケアしてくれたのは嬉しかった。
特にその中の一人の女性看護師には惚れてしまいそうだったほどだ。
点滴が取れたのは手術の翌々日。
ちなみに点滴も人生はじめての経験だった。